Welcome to WordPress. This is your first post. Edit or delete it, then start writing!
ブログ
-
あの頃、こんな冒険がしたかった—— 「クローディアの秘密」で宝物を探しに
子どもって、いつかどこかでちいさな冒険をするものですよね。親としては「危ないから戻っておいで!」と全力で止めたくなるけれど、その向こう側にしか見えない景色がきっとある。そんな気持ちを、この『クローディアの秘密』はふっと思い出させてくれます。
主人公のクローディアと弟ジェイミーは、なんと家出を計画します。といっても深刻なものではなくて、クローディアが自分の環境の変化を求めた、ちょっと背伸びした冒険心から生まれた計画。行動力のある姉と、お金のやりくりが得意な弟。この凸凹コンビが小さなお財布に「二十八ドル六十一セント」を詰め込み、向かった先は――まさかのメトロポリタン美術館。
わかった。わかった。
じゃ、はじめからいうけど、
あたしたちニューヨークのメトロポリタン美術館にかくれしのぶのよ。
— 「クローディアの秘密」より
しかも、目的は見学ではなく宿泊。閉館後の展示室でベッドを作り、噴水でこっそり体を洗い、落ちているコインで生活費をまかなう。子どもにしか思いつかない大胆さと、子どもだからこそできてしまう無謀さがなんとも愛おしくて、読んでいるこちらもくすっと笑ってしまいます。
美術館暮らしに慣れた頃、ふたりの前に現れるのが正体不明の「天使の彫像」。ミケランジェロ作かもしれない。そんなロマンに満ちた謎に、クローディアは夢中になっていきます。知らないことを知りたいという気持ち、答えに近づくワクワク、弟と協力しながら少しずつ本当のことに触れていく時間。この過程こそ、子どもが大人に向かって一歩踏み出す、あの独特のきらめきそのものだと思うのです。
そしてラストに向かうにつれ、クローディアは少しだけ変わります。「不公平な待遇から脱却したい」という気持ちから始まった家出が、いつのまにか「自分だけの宝物を持つこと」の喜びへと変わっていく。その静かな成長がとても温かく、胸に残ります。
今の時代、子どもが自由に遠くまで行くなんて簡単にはできません。でも、物語の中なら思いきり旅ができます。クローディアとジェイミーの冒険は、子どもにも大人にも、「自分だけの秘密」を持つことの大切さをそっと教えてくれるようでした。
読了後、自分の温めているささやかな秘密に思いを馳せて。そんなやわらかな余韻が残った一冊でした。
白黒はっきりしていなくてもいい—— 「すみれ荘ファミリア」で考える愛のカタチ
読む人によってハッピーエンドとなるか、バッドエンドとなるか分かれる一冊ではないだろうか。
個人の見解だがこのすみれ荘ファミリアに出てくる人物には100%善人はいない。そして100%悪人もいない。みんなそれぞれ善と悪、表と裏がある。そしてそれが非常にリアル。
人間みなその2つがあって当たり前だと思うが、日常生活を送っているとついそのことを忘れ「あの人はいい人だから」とか「悪気があったわけじゃないんだから」とか、何かにつけて人の善の部分だけ見ようとして自分のモヤモヤを押し込めていることがある。いや、日常生活を穏やかに送るためにはそれでいいのだが、自分がモヤモヤしていることには変わりない。
その日頃押し込んでしまうモヤモヤした出来事を、こちらのすみれ荘の住人たちがあけっぴろげてくれる箇所が所々にあるおかげで、物語を通じて、人間のこれは許せないという嫌な部分も、受け止めてあげたくなる部分も見ることができた。
世の中の人すべてが理解し合い、許し合えるなんてのは幻想だ。
だからといって希望を捨てることはない。
世界にも、心にも、グレーゾーンというものがあっていい。
— 「すみれ荘ファミリア」より
そして物語のクライマックスは序盤の雰囲気から急降下、予想外の連発に休む暇なくページをどんどことめくってしまった。
ラスト、私的にはハッピーエンド。しかし読む人によって、思い入れる登場人物によって、きっと読後感は大きく変わるだろう。是非読んだ方と感想を言い合いたい、そんな一冊だった。
優しいエールの物語—— 「掬えば手には」で温かい気持ちになろう
「感受性が強く、人に対して優しいところもあるがその反面傷つきやすい」これは小学校低学年時の通知表に書かれていた私への所見だ。褒められているのかなんなのかわからないが、確かに今も気遣いは必要以上にしてしまうタイプかもしれない。
瀬尾まいこ「掬えば手には」の主人公である大学生「梨木匠」もそんな感受性が強い一人だ。中3の時にクラスメイトの心情を察して助けたことから、「人の心を読める能力がある」と思って困った人を助けてきたが、SF小説ではない本作で「人の心が読める能力」なんて、実際は「察しがいいだけ」だろう。
現に能力を拠り所にして「みんなの漏れている感情に言葉を送るようになった」と思っていた梨木は、バイト先の後輩で、表情や言動に感情が乗らず心が読めない「常盤さん」とのやり取りで戸惑い「『人の心が読める』そんなの、共に時間を重ねれば、誰にでもできることだ」と評するようになった。
あるかもしれない自分の力を確かめたくて、ぼくは人の気持ちに触れることをやめられなかった。そして、そのうち、みんなの漏れている感情に言葉を送るようになった。漏れてくる思いを感じられる力。そして、そこに応じた言葉を送れば、喜んでもらうことも、安心させることもできる。ささやかだけど誰かのためになる力。それがぼくにはある。そう思っていた。
— 「掬えば手には」より
自分主体か相手主体か気持ちの置き方が変わっただけで、人一倍感受性が強く、繊細で、どうにか人とつながりたいから相手の心にこだわっているだけでは?と思うのだが、これが梨木にとって悪いほうに作用しない。ただの主人公の挫折にも作品に漂う優しさの強調にもしない部分に、瀬尾作品らしさがある。
本書の帯で「心に羽が生える最高傑作」とあるが、羽が生えたようなふんわりとした読後感で終わらせず、この先の梨木が人の気持ちにとらわれすぎずに歩き出すことを期待できる…。そんな骨太の力強さがあるのはさすがである。
また、暖簾に腕押しが物語の終わりギリギリまで続く常盤さんとのやり取りだけではなく、長い友人である「河野さん」(彼女に関する伏線がまた秀逸!)やバイト先の店長などとの関係はコミカルな部分もありつつ、物語の根幹を担う役割をしている。
優しい気持ちが流れるカウンセリング的な物語…だけとは思わず、会話も楽しめるものとして手に取ってほしい作品だ。